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大法要を機に、自らを見つめ直す  ・・・☆☆☆

  • 2021/04/05(月) 02:40:05

きょうの朝は、さぁ、そろそろ、さくらを愛でるのも、おしまいとしましょうといわんばかりの曇天。

しばらくして、雨が落ちてきた。

やわらかな雨となり、まさに、偲び雨となった。

ご先祖様、どうか、お達者で。

みなさんも、どうか、おりをみて、ご先祖様を偲んで、自分を見つめ直してくださいね。

いつか、みなさんも、必ず、ご先祖様のもとへ往くのですから・・・。

その点、おれの場合、数々のわるさを重ねたせいで、今のところ、ご先祖様のもとへは、いけそうにない(笑)。

今、いけば、間違いなく、地獄に直行である。

向こうで逢える仏様は、せいぜい、地蔵菩薩様ぐらいだろうが、

堕ちた地獄によっては、それも、かなわぬ可能性が高い。

地蔵様といっても、輪廻する六つの世界に合わせた、地蔵様方がおられる。

これが、道端でみることができる六地蔵である。

おれがいく世界の地獄が、大定智悲地蔵様といわれる。

ひょっとしていくかもしれない餓鬼道にいるのが、大徳清浄地蔵様。

いや、うまくいけばいくかもしれない畜生道にいるのが、大光明地蔵様。

万が一いけるかもしれない阿修羅道が、清浄無垢地蔵様。

おそらくないだろう人道が、大清浄地蔵様。

裏返る徳が授かったときのみいけるであろう天道が、大堅固地蔵様、と云われる。

すべての地蔵様は、左手に、宝珠を持っている。

あの宝珠に、おれが、多少、良きことをしたことが、チラっとでも映れば、地蔵様と逢えるかもしれないが、

今は、まだ、真っ暗で、なにも映らないことは、わかっている(笑)。

そのため、おれは、おれだけでも、オレを照らしてあげようと、

日々、明るくくるくる○ーで、照らし続ける修行をしている。

今回の大法要で、あらためて、やっぱ、この修行法が、1番、おれに向いている、と
見つめ直させていただいた。


丑年の智慧 禅語 其の95 は…  (^∀^)

*歩々是道場 (ほほこれどうじょう = どこにいても、そこが自分の道場であり、何をしていても、それが自分を高める修行である)

訓え・・・この禅語は、どんなことをすると、わたしの修行になるかという視点ではなく、どんなことをしても、わたしの修行になるという視点を持って、なにごとも取り組むことが、わたしの魂を高みにあげる修行の道場になると、いっているのです。

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