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卒業ねぇ、まだまだ、あなたちは、卒業できません(笑) ・・・☆☆☆
- 2021/02/26(金) 03:53:01
きょうの朝は、それまでお月様の光を浴びながら、あそんでいた龍雲の子龍たちが、
あっ、アマテラス様が 起きてきた、やべぇー、早よ帰えらな怒られるー、じゃあなぁと、西の空へ、一斉に帰っていった(笑)。
そこに、アマテラス様が、わたしは、そんなことで怒らないわよ、失礼しちゃうなぁと、言いながら、あがってきた(笑)。
そんな朝の天のワンシーンを 楽しみながら、アイスコーヒーを味わった。
で、10時から、リモートで、「卒業」をテーマに、ワイワイばなし。
昼から、「どうして、わたしは、やらかすのか」で、ワイワイばなし。
実は、この2つのテーマ、きょう偶然、合わさったのだが、
ちゃんと理解できて生きている人なら、つながっていることに気がつくはず。
神様も、この2つのテーマを、きょうに合わせるなんざぁ憎いことするなぁと思いながら、
午前中は、このおっさんも、よく、あれだけ怒られて よくもまぁ、小中高と卒業できたものだと思った(笑)。
だが、おれの場合、なにを小学校で得て、中学校ではなにを修め、高校のときは、なにからなにまでを修了したか、ちゃんと、わかっていたので、
途中、
「一度なると、死ぬまで卒業できないものを、一つ言うてみ」と問いかけたら、
みんな、なんにも言われず、とぼけた顔をしていたので、
「ひとつのこたえを言うと、親や」と言ったら、
画面越しに、あーっと、しみじみ声がもれた。
卒業することが、なんでも、おめでたいわけじゃない。
なぜなら、と、知恵話をしてあげた。
そして昼から、次つぎに、やらかす元は、結果、わたしの○○○○さにある、と言ったときも、
あーっ たしかにと声をこぼしていた。
それぞれ卒業して、それなりに修了証書なるものを受けとり、大人になったものの、
わたしは、なんにも、修了していなかったことを痛感するようなことが、次つぎ起きて、「やらかす」形を、わたしは、今、完成させるため一つずつ修了している最中なのである(笑)。
さらにかみ砕くと、
ほんとに、ものごとを修了したわけではないことを、今になって思い知り、
この、「やらかすわたし」からは、なかなか、卒業できない人生授業を送っているともいえる状態である。
おれは、ちゃんと、「修了」できて、ほんとに 良かったなぁと思う。
がはは(笑)。
丑年の智慧 禅語 其の57 は… (^∀^)
*一行三昧 (いちぎょうざんまい = 何事も、ひたすら、それだけを集中してやる。禅は、それを一昧(ひとつ)になるという)
訓え・・・仕事をしながら他ごとを考える、運転をしながら他ごとを考える。これでは、ミスを呼びこみやすい。一途に、そのことに集中し、中途半端な状態をつくらない姿勢を普段からつくること。
- 日記
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