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悩みはないようであり、あるようでない ふふ ・・・☆☆☆
- 2021/02/14(日) 02:55:09
きょうの朝は、うすぐもりから、だんだん水色が、広がっていき、あったかい はれとなった。
そんなおり、午前中、綾瀬までいき、人と会い、自分のやらなければならないことを、ちょっと整理してあげて、昼からリモート4本してた。
で、きょう印象に残ったのは、長野の飯野市のグループの最後に
「なんか、あと、聞きたいことがあれば」と言ったとき、
R沙ちゃんが「悩みは、つきないっていいますけど、どうして悩みは、つきないと思いますか?」と、聞いてきたこと。
画面に映っている他のメンバーも、うんうんと うなづいていたので、
「悩みは、つきないことはないかな。ちゃんと、つきてるはず。とくに、この、山賊がかった君らはアバウトやから、何で悩んでたかも覚えてないはずや(爆笑・笑)。
じゃあ聞くが、1日中、あることで1年中悩んでる人このなかにおるかぁ? ごはん食べてるとき、トイレいってるとき、人と会うとき、運転してるとき、買い物してるとき、シャワー浴びてるとき、
ずーと悩みっぱなしじゃないはず。
悩みは、厳密的にいうと、断続的に、頭に浮かぶもの。
その浮かぶときは、なにか、一区切りついたときに、ふと、その気になって悩みを浮かべて、なんかいい案ないか、なんかうまいこといく方法はないかって、思考を巡らすことを、悩みと思ってるとちゃうかぁ。
ということは、なんかいい案ないかとか、いい方法ないかって思いを巡らさんだら、悩まん理屈が一方であることになるよなぁ。
人生は、なるようにしかならんと腹くくってる人は、常に、ええこともイヤなことも、受け止めるメンタルが養われてる人やから、悩みがあっても、比較的、早く、結果を見るから、
結果を見るってことは、その悩みを行きつかせてるわけやから、その悩みはおわるよね」となどやりとりしていた。
同じ悩みが、ずーっと続くのは、自分のコンプレックスに関わるものが多いが、
それ以外の悩みは、種類のちがう、悩みが、やってくるのである。
自らの受けとめ方で、悩みは、ないようであり、あるようでないように、できる。
悩みへのメンタルを養うために、高僧が、自然を友とし、自然を師とするのは、そのためである。
これをわかりやすく言うと
自分の身の回りにある自然は常にそばにあるのに、
なにか、しなければならないことがあると(=とらわれてしまうもの=悩み在り)、自然(こたえ)に気がつかず、
自然(こたえ)に気がついていると、しなければならないことがない(=とらわれるものがない=悩み不在)状態になる、ということ。
だから、できることを、たんたんと、こなしていれば、自らの悩みが起こりにくくなり、
自分以外の悩みが来たときに備えることができる。
これ、わかるかなぁ? それとも、わかんねぇかなぁ?
まぁ、ゆっくり、意味を考えてくださいな(笑)。
丑年の智慧 禅語 其の45 は… (^∀^)
*閑古錐 (かんこすい = 使いこんで、先がまるくなった錐(きり)は、穴を開ける道具としては鈍くなるが、歴史を感じさせる風合いがある)
訓え・・・老いると、気力や 体力の衰えを感じたり、今までできていたことが、できなくなったりすると喪失感を感じたりする。だが、積み重ねてきた経験がもたらす円熟味は、若いときには得られない大切な心の糧となっている。その糧を活かすのが老いの智慧。
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この記事に対するコメント
分からないや
私の悩みはいつも一緒。成長してないことがわかった。悩みがないと不安しか残らない事もあり悩んでいる自分が好きなんだろうかって思ってしまう。でも悩みのない世界に行きたい。