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緊急事態宣言がでようと、右往左往しないでいたいよね(笑) ・・・☆☆☆

  • 2021/01/07(木) 01:02:04

きょうは、朝方まで本を読んでいたら、 日の出の太陽をみて、朝がスタート。
夕方に向け、ねずみ色の雲が増えた。

その後も、本読んでは、コーヒーを飲み、コーヒー飲んでは、本を読んだ。

その際、ある本に おだやかなお寺の和尚さんが出てきて、猛烈な練習をしている主人公に、ニコニコしながら、
「目標を持つのは良いことじゃが、雑念だらけで、見ているこっちが苦しくなるわい。
無心でせねば、目標をつかむ喜びも、人の心にまで届く喜びもないわい。今のおまえは、猫が、目標となるエサに飛びつこうと、もがいているようにしか、わしには、見えん。がははは」といいながら、去っていき、
主人公が、その背中にむけ、「うるせぇクソ坊主! おまえに、おれの特訓の意味なんかわかるわけねー」と、毒づくのだが、

このシーンで、ふと、達磨大師のことを思いだした。

正式名称は、達磨廓然(だるま かくねん)という。(面壁9年のときの名は、達磨安心(あんじん))

○一つのエピソードをあげると、502年梁の初代皇帝、武帝が、だるま大師に会いにいき、

わたしは たくさんの寺をつくり、経を写し、僧まで育ててきました。
こうした仏陀への帰依には、どんな功徳があるのでしょうか?と、だるま大師に訊いた。

すると、だるま大師は、無功徳と おっしゃった。 ○

この無功徳とは、

いつの時代も、大人になると、それまでに宿した価値観で、得なものを選ぶ。

得という価値観は、必然的に、損という価値観をうむ。
これを、染汚(ぜんな)と言うが、汚れてしまった見方という意味で捉えてもらえればよろし。

自分の命や、地球も、人と人との縁も、すべて自分の都合以前に、働きのあるものである。
それが事実。

自分で選びようのない命を生きている以上、都合の良いもの、都合のわるいものを わけへだててもしかたない。

もう少しくだくと、実体のない観念にふりまわされて、これは得、これは損とわけてしまうことは、すべて染汚。

対して、そういうことなく、意識が汚れる以前を、不染汚という。

損得から離れた不染汚心に身をおくこと。

武帝は、自分はこれだけのことをしたと言わんばかりで、なにかをしてあげることで、喜ぼうとしたのだが、
真(まこと)の喜びは、喜び自体の中にあるため、してあげることでの喜びは、ただの交換条件の状態。

だるま大師は、心を抜きにして、功徳の有無を超え、ことの善悪を超えないと、まことの、あるがままの喜びはえられないという意味の 無功徳と言ったのだが、武帝には、わからなかった。

今、武帝のように、今まで生きてきた自分の価値観に、自分で、振り回されている染汚人がたくさん増えた。

コロナのときは、それが得だよね、コロナのときに、それをするのは損しそうってことではなく、

コロナだろうが、地球最後の日だろうが、そのときの、ありのままの自分を、しずかに無心で見つめられることが、できれば、自らのなかに、すでにいる仏様と出会えて、
自分を見失って、右往左往しなくてすみます。

くるくる○ーの呼吸常中は、この無心のなかで、笑顔の笑言大権現様に会いやすいのさ(笑)。

丑年の智慧 禅語 其の7 は…  (^∀^)

*至道無難
 唯嫌揀択 (しどうはかたきことなし ただけんじゃくをきらう=悟りに至る道は けっして難しくない。ただ選り好みしなければ)

訓え・・・これは ○、あれは× という、選り好みから、離れることが できると、心は、晴れやかになる。それを、離さないから、難しくないことが、難しくなる。

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