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ブレない御加護を授かりたいなら ・・・☆☆☆
- 2020/12/02(水) 04:56:05
きょうから12月。コロナの今年も、あと1ヶ月となった。
師走の1発目の天気は、はれ。
さすがに、朝方と、日が落ちてからの冷え方は、冬を感じ出した。
そんななか、ある部長と 急きょお会いし、心の窓をしていた。
「あきひろ先生、心の軸が、どうもブレブレなのですが、どうしたら、ブレなくなるでしょう。仕事で、朝、部下に指示したことが、よく裏目に出てしまい、慌てて、また部下に指示し直すことが多く、部下も 僕が呼ぶと、急に元気がなくなったように、イヤイヤ来てるような気がして、んー、どうしても、うまく部下に指示が出せません」とのことだった。
そこで、部下に指示を出すときの、3つのアプローチをコーチングして、
実際に、おれが部下役をして、リハーサルして、感じをつかんでもらい、
その上で、今、なぜブレなかったか、どうして今までは、ブレたのかについて、気がついてもらえるよう処方してさしあげた。
そのあと、余談で、おじいちゃん子だったことを見抜いて、
「昔、おじいちゃんに、どっか大きなお寺、東大寺とか、法隆寺とか、連れてってもらったことないかなぁ?」と聞くと、ズバリ、おじいちゃんに、奈良の大仏を見に連れてってもらい法隆寺の五重の塔も見ました、というので、
今度、久しぶりに、法隆寺の阿閦如来(あしゅくにょらい)様を見てくるといい、と勧めてあげた。
自分のことをブレブレだと思っている人は、阿閦如来様に会いに行くといいだろう。
阿閦如来様は、インドでは、かなり人気の如来様である。
阿閦のなかに、「揺るぎない」という意味が含まれるため、悟りを得る境地への意志が強固で、戒を厳しく律し、常に心乱れることなく、おだやかの象徴とでもいうべき怒り知らずで、別名、不動如来様とか、無動如来様ともいわれるのが、阿閦如来様である。
そんな阿閦如来様の話しをしていたら、
部長が、メモ用紙に涙粒を2粒落としながら、おれの話しをメモし、
最後に、「あさって休みなので、ブレない御加護をいただけるかどうかわかりませんが、阿閦如来様に会いにいってきたいと思います。あきひろ先生、ほんとに、きょうは、無理いって会っていただきありがとうございました」と、かなり、イイ表情になって帰っていかれた。
お店を出て、地下鉄で帰ろうと、横断歩道の信号でつかまったとき、東の夜空から、
「わしの話しも してくれよ」と、月光菩薩様が、声をかけてこられた(笑)。
ねずみ年の智恵聖人 子(ね)の 337 は… (^∀^)
☆聖ニコラウス(ニコラ)
この聖人は、博愛家であったという伝説から、サンタ・クロースとして知られるようになった聖人。
◯属性: なし
(この聖人が守護する対象: ギリシャ、ロシア、仏ロレーヌ地方、子ども、仕立て屋、香水商、船乗り、弁護士、酒屋、質屋、学生、処女、無実の罪に苦しむ人。30才をすぎても独身の男性)
(この聖人のゆかり: 270〜4世紀。アナトリア(今のトルコ)のパタラの財産家に生まれ、相続した莫大な遺産を貧しい人々のために使った。その後、リュキアのミュラの司教に選ばれ、教会と貧しい人々のために献身した。キリスト教迫害のため投獄されたこともあるが、敬虔な祈りが奇跡を起こし、無実の3人の死刑囚や難破しそうになった水夫たちを救い、わずかな小麦で2年間ミュラの人々を養い、殺されて樽に塩漬けになった3人の子どもたちを蘇生させたという。1087年に聖遺物がイタリアのバリに移され、12世紀から、ヨーロッパ中に信仰が広がった。とくにスイス、フランス、ドイツ、オランダでは聖ニコラウスの日が子どもの祝日となり、その前夜、子どもにそっとプレゼントをする習慣が広まった。宗教改革のころから司教服の色である赤い頭巾と服をまとった髭のおじさんがプレゼントを入れた袋を背負って子どもたちを訪れるという形に伝説が変わり、クリスマスと結びついた。また、名前もオランダなまりの「シンテ・クラアス」から、「サンタ・クロース」へと変わっていった。18世紀にはサンタ・クロースはイギリスに渡り、煙突から入ってくつ下のなかにプレゼントを入れるという、さらに北欧の伝説が加わり、8頭のトナカイが引くソリにおもちゃを乗せて北の国から飛んでくることになった。「サンタ・クロース」の神話が完成したのは、これらの国の移民の持ち寄った伝説がアメリカのニューヨークの植民地で融合してからのこと/最も古い絵画は、1096年ごろにヴァル・ド・シューズ県のノヴァレーズ修道院の壁画「聖ニコラと聖エルドラド」)
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