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醍醐味 ・・・☆☆☆
- 2020/11/18(水) 07:57:07
きょうの桜島は、日の出を、横に長い、ねずみ色の雲の壁を、乗り越えて出てきた。
桜島の日の出を見るのも、きょうが、最後のせいか、どことなく、さみしそう。
と、おもいきや、朝8時半には、もう 20℃越えとなるぐらい、元気いっぱいギラギラしていた(笑)。
旅には、必ず、その地にやって来る 始まりがあり、
その地を、去っていく おわりがある。
それが、旅の醍醐味でもある。
この醍醐味という言葉、もともとは、涅槃経に、出てくる言葉。
お経のなかの醍醐味の意味は、
人生という長い旅のなかで、ほんとうの人生の楽しさや、
だれもが、たった一度の人生のなかで、本物の人生の深い味わいとなる1日に、どうやって巡り合えるか、それは、人生半ばでは、なかなか、難しい問題である、という意味。
醍醐とは、牛の乳を、濃縮させ、さらに、どんどん濃縮していき、最後の最後に、できるもの。
それは、とても、濃くて、あまい味がすると言う。
自分の人生も、そうありたいものである。
ちなみに、もともと醍醐は、古代インド語で、「サルピス」と言うが、
ここから、おれもガキのころから、たまに無性に飲みたくなる「カルピス」の語源になっているそうな。
この醍醐のように、悟りをひらいたお釈迦様が、最後にしぼり出すように出した知恵や、教えが、人が迷い困ったとき、いついつまでも使える、人を救う知恵、人をよりよく活かすおしえであるため、
それを、敬い崇える意味で、「醍醐味」と言う言葉ができた。
おれも、この醍醐味のほんとの意味を身をもって、もっともっと味わうため、
世にコロナが蔓延しようと、鬼がうじゃうじゃいようと、
くるくる○ーの呼吸をしながら、人生の旅を、明るく生きて、
あっちへいったとき、お釈迦様や、阿弥陀様に、
今回、人間界を旅して、醍醐味のこたえは、出ましたかぁ、と言われたとき、
「ああ、出たで。お釈迦様、阿弥陀様、聞きたい?まぁ、しゃあないな、教えたるわい」と言えるよう、
またまだ、いろんな旅をしていかねば(笑)。
桜島の山神さま、鹿児島のみなさん、こんなおっさんを、招いてくださり、
ほんとにありがとうございました。
おっさんは、次なる地へ。次は、どんな醍醐味がある地になるかな・・・楽しみじゃ。
ねずみ年の智恵聖人 子(ね)の 323 は… (^∀^)
☆聖ゲラシウス(1世)
この聖人は、原罪を否定した人々を非難したことで知られるローマ教皇。ローマ教会の優越性の確立者。
◯属性: なし
(この聖人が守護する対象: なし)
(この聖人のゆかり: 〜496年。アフリカのローマ市民として生まれ、前任者のふたりの教皇のあとを受けて、教皇となる。アリウス派、ネストリウス派などの異端に対する反論をまとめた書簡で知られる。とりわけ、原罪を否定する人々を厳しく非難した。コンスタンチノーブルの東方教会に対するローマ教会の優越性を確立することに心を砕いた)
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