FC2ブログ

あそび心 ・・・☆☆☆

  • 2020/11/05(木) 03:22:12

きょうは、青空が映える、秋晴れ。

この秋の朝、澄んだ青色の空を、みると、めちゃくちゃ、あそびに、行きたくなる(笑)。

その気持ちは、萎えることはないので、宿したまま、目的地に移動し、

迎えに来ていた、Lに、
「こんなええ天気は、会やめて、みんなと、あそびにいこうぜ」というと、

「じゃあ、会が、終わってから、わたしと、2人っきりで、あそびに行きましょ」と言われたので、

「あそびに行きたい気持ちが、一瞬で、萎えた。おまえと2人っきりってだけで、
そこの花屋さんの花も、みんな枯れるわぃ(笑)」と、ほんまに萎えた(笑)。

そんなわけで、会を、あそび感覚で、

きょうは、我が子とあそび、愛するダンナとあそび、ママ友同士であそび、

人の人生(みち)には、なぜ、あそびが必要か、

なぜ、子育てにも、あそびが、不可欠なものなのか、

あそび感覚で、どぶろっくの歌の歌詞や、

流行りの鬼滅の刃の中の、キャラクターを、真似しながら、

みなさんに、大笑いしてもらいながら、
「笑いながら、学べる」って、なんか、むちゃくちゃ、楽しいと体験してもらって、

明日からの子育てばなしを、させていただいた。

会が 終わって、イタメシ屋の喫茶店に、

Lと、スタッフの ひーちゃん、モグ、オムらと、ちっちゃな打ち上げをしたとき、

モグが「ほんとに、わたし、子育てで、我が子とあそぶ感覚で、あそんでなかったなぁ。だから、わたし、夏前に身体こわしたのかぁと思いました。
あきひろさんの今日の話しを聞いて、
うちのお父さんも、あそび知らずの、絵に描いたようなマジメな人だったから、身体壊してしまって○○になって、
あの当時、夜あそびばかりしてる わたしは、ほんとに健康でいられたから、それって なんでだろうって、ずっと 思ってましたけど、
きょうの話しを聞いて、そのなぞが、解けましたぁ。あそびって、ほんと 大事ですね」としみじみ言ったら、

ひーちゃんも、
「わたしも、4年前、○○○○性の手術したんだけど、あそんでなかったからだと思う。
でも今日の、あきひろさんの会を、Lから、コロナにかかってもするよって言われたとき、
むちゃくちゃ、あそびごころが働いて、今日は、ほんとに、あきひろさんの会なのに、
めっちゃあそんだときみたいに、楽しかったです」というと、

Lが、
「わたしは、今から、あきひろさんと、2人っきりで 神デートしにあそびに行くから、
あんたたちは、早く、もぅ、とっとと帰って」と言った瞬間、

Lの席の後ろの、パズルのパネルが外れ、Lの肩にゴチンと当たり、(イテっ!)
きっちり、天罰がくだり、みんな大爆笑)))。

自分で、自分をしばり、あそび心を失っていくと、楽しいって感じる感覚が、どんどん劣化し、サビる。

だが、35年、愛着もって使っている電化製品や、道具や、
オレの場合、ステレオのように、
常に、あそび心をもって、楽しいって感覚を磨いていると、リフレッシュ感覚も磨かれるため、
子育ての際にも、自らの人生を歩んでいく際も、
必要な明るさ、その年齢に合った健康にもつながる、

かけがいのないたった一つの自分の体という、神様仏様ご先祖様から授かった大切な入れ物を、
サビつかせることなく、無理のないほど良い状態を、築き磨いていけるのさ。

Lっー、ひーちゃん、モグ、オム おつかれさんなぁ。

おまえら、おれと、あそびたかったら、あの、ビックパフェを、15分以内で、ペロっと食えるぐらい、全集中常中の呼吸ができるようになって、

せめて、くるくる○ーの呼吸、参の型ぐらいは、扱えるよう 修行つむように(笑)。

ひどぃーって声が聞こえてきそうやが、ひどぃーって言うてるうちは、我が子は、もっと、おまえら母親に、

ひどぃーって状態に、日々、漬けられてることを忘れやんように。ほなな(笑)


ねずみ年の智恵聖人  子(ね)の 310 は…  (^∀^)

☆聖ゴドフロワ(ジョフロワ)
この聖人は、修道院改革の目覚ましい成果をあげたが、
出世を拒否して改革者にとどまろうとしたために、非難をあびて帰天したフランスの修道僧であり、アミアンの司教。
◯属性: 司教杖、司教冠
(この聖人が守護する対象: なし)
(この聖人のゆかり: 1066〜1115年。ソワッソンに生まれ、ノジャンのベネディクト派修道院にやってきたときには30がらみの一介の修道僧にすぎず、修道院には茨が生い茂り、6人の修道士しかいなかったので、ゴドフロワが瞬く間に修道院を立て直し、ゆたかな収穫をもたらしたときには、みなが驚き、再建の手腕に注目した。ランスの大司教が、当時最も裕福な教区だったサン・レミの司教にならないかともちかけたが、結婚している男が妻を捨てて、より魅力的な女に乗り換えるようなものだと、この申し出を断った。1104年にアミアンの司教に選ばれたが修道院が乱れに乱れ聖職売買がまかり通り、修道改革に燃えるゴドフロワの態度は既得権に対する侵害と取られ、強い非難をあびた。そこで改革派の拠点のグランドシャトルーズ修道院に逃げ込んだが、教会会議で認められず、やむなく自分のアミアンの司教区に帰ることになったが、その途中、聖クレパン修道院で客死した)

この記事に対するコメント

時代の変化

私は自分がすることがうまくいかない時、何か自分の足元が間違っていないかなと確認をするタイプです。バチが当たったかなぁとか今は動いてはダメなのかなと言う動物的なかんですよね。そんなふうにして生きてきましたが、今若い人たちはそういう気持ちは少なくだめなものはだめ日常の中に神はいないと言う考え方の人が多いなぁと思ってこれは年代の差なのかしらね。見えないものを見えると思えることが少なくなってきた時代です。

  • 投稿者: -
  • 2020/11/05(木) 18:09:39
  • [編集]

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する