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みんな知らず知らず、くるくる○ーな自分がもれている。でも、それが、身を救う ・・・☆☆☆

  • 2020/10/17(土) 01:37:01

きょうも、寒い、くもりとなった。

午前中、品川で、プロ野球の、巨人が、優勝間近ということで、

ジャイアンツをこよなく愛するおばちゃんグループに、
「頂きで見える景色」で、寺子屋をし、

自分の人生の頂きは、今、見えてる頂きとは、ちがう頂きに辿りつく、という、

とても、ありがたいおはなしをしてあげると、
「ジャイアンツ優勝って喜んでる場合じゃないよね」と、自分のくるくる○ーに気がつき、

さらに、pm3:00~、山陰から、代表の息子が、大学に休学届けを出してでも、
もぅ、帰りたいと言い出したので、息子に、とにかく会って話しをすると、

山陰のグループの仲間3人と、新幹線で、品川まで出てきて、そのまま、寺子屋をしたら、

この前の宮城のおばはんらと、ほぼ、同じく、江戸の人混みに、人酔いしたのもつかの間、

おいしい食べもののお店を教えてほしいというので、ある中華店と、スイーツのお店の話しをしていたら、時間が来てしまい(笑)、

さっさと、バイバぁーイと言って、きゃっきゃ言いながら去っていこうとしたので、
「おーぃ、Yかぁ、息子の話しせんだけど、そのまま明るく息子に会うんやぞー」っていうと、
「あっ、大事なこと聞かずに、お店のことばっか聞いてもたぁー」と、息子のことを忘れる母のくるくる○ーぶりを残していったし(笑)、

次に、原宿の猿田彦珈琲で、人と待ち合わせ、年明けのことについて聞きたいと言って、おれに、パソコンの画面を見せ、しばらくすると、画面が真っ暗になった。
「あっ、充電が切れたのかも」と言って、カバンをガサゴソ探していたのだが、
「あきひろさん、申し訳ない、充電ゲーブル忘れましたぁ、いつも入れるのに、慌ててたから、忘れましたぁー、ごめんなさい」と、打ち合わせ、わずか、10分で終了となり、肝心なときに資料画面が消えるという、くるくる○ーぶりを見せてもらい(笑)、

そして、夜、リモートでは、きょうは、もぅ、この話しにつきるなと思い、

明るいくるくる○ーは、コロナ禍の日々を、

えっ、コロナってなに?って感じられるほど、たくさんの好日を授かりやすいという話しをした(笑)。


マジメ・バカという、ウィルスに感染すると、目の前の楽しいことを我慢し、

本来、断りたいと思っていることに身を投じ、イヤなことを頼まれ、しなくてよかったはずの我慢が、重なる日々になり、さらに、つかわなくても良かった気を遣い、

どんどん、自分で自分を責め、人生の免疫力を落とす。

やらかしても、気にしないのが、くるくる○ーの強さ(笑)。

免疫力を落とさないよう、自らの、くるくる○ーの部分を自覚し、

やらかしたときは、身も、心も、キレイにするつもりで、

自分が安まる家の汚れているところを、清掃し、清掃して キレイにしたら、

他愛もない、ちょっとした明るさを大事にして、

福を呼びこんでくださいね。


ねずみ年の智恵聖人  子(ね)の 291 は…  (^∀^)

☆聖女ベルティラ・ボスカルディン
この聖人は、素朴な娘だったが、困難な仕事に一生を捧げ、その献身的な看護で人々を感動させたイタリアの看護シスター。
◯属性: なし
(この聖人が守護する対象: なし)
(この聖人のゆかり:1888~1922年。イタリアのヴィチェンツァ近郊で農家の娘として生まれる。1904年にヴィチェンツァの聖ドロシー修道会で3年間、台所仕事をしたあと、トレビゾの小児病棟を手伝うようになった。1917年にトレビゾが空襲を受けたときにも、沈着に振る舞って患者たちを看護し、コモの陸軍病院の当局者の賛嘆を呼んだ。ときには、看護の場から追われ、洗濯場で働くよう命ぜられたこともあったが、1919年には独立小児病棟を任されるまでになった。しかし、献身的な看護を続けた結果、やがて彼女自身の健康を損ない、大手術のかいもなく1922年に亡くなった。困難な仕事に献身する「純な心」の一生であったが、深い印象を人々の心に残した)

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