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聖なる説教(笑)・・・☆☆☆
- 2020/09/04(金) 03:00:19
きょうは、台風一家となったものの、めちゃくちゃ暑い日となった。
そんなおり、小さいころから、優等生のやることをやってれば、しかられにくいということに、つかりすぎて、
今となっては、自分のことなのに、自分では、まったく決められず、
常に、人が上手くいってることをマネしたり、
いつも、間違いなさそうな人を探して、その人がなにをしてるか注視したり、
安全な人や、失敗しそうにない人や、確かな人に、他愛もない話しから、ちゃっかり相談していたり、
自分の人生なのに、人からの「良い影響」だけを受けることで、自分が生きてきたという
世話がやける 厄年の女性に、
自分の人生を、自分で生きてきていないツケが、この厄年に炸裂し、
知り合いを通じて、聖アキヒロ・ミカエルに依頼があり、その厄年の女性に、聖なる説教をしてさしあげた。
自分の人生の、晩年に、宝となるのは、若いうちにやらかしてきた失敗が、
あの失敗でイタイ思いをしていたことが、この年になり、このピンチに、あせりながらも、
なんとか切り抜けられた、と いえるような 宝の日につながる。
でも、若いときに、失敗が、ほとんどないと、晩年、失敗することで得られるハズだった感覚の芽生えが、まったくないため、
すべて、自分で決めることが、一般の人より、2倍3倍で 怖くてしかたないって感覚に包まれる。
でも、このコロナで、自分の部屋にいると、自然と、わたしの人生ってなんなのかなぁ、
わたし、これから、どうなるんだろう?と、自分を見つめる時間があり、
そのとき、はたと、わたしが好きなものってなんだろう、なんにもないやってことだけ気がつく。
そりゃ そうだ、今まで 失敗を怖がってなにも、自分で決めて、自分でしてきていないんだから、あるはずない。
自分で決めて、自分で始めたことで失敗しても、また、やってしまい、また失敗しても、さらに、またやってしまうほど、そんな体験ひとつないわけだから、
ほんとうに、自分が好きなものって、何度失敗しても、それをやってしまう、または、
何回、しかられても、それが気になってしかたないとかは、ほんとに好きなものが多い。
でも、優等生っぽい人のマネばかりしてきた体験では、なにひとつ、自分で決めてないので、
その優等生が好きっていったものを、わたしも好きなつもりを体験しただけで、
ほんとに、自分が好きなものを、誰になにを言われようが、わたしはこれが好きってものを、自分がつかみとったわけじゃないので、わかりたくても わからないのは当然である。
そんな当然のことを、イチから、優しく説いて、
しっかりしろ!と、聖なる説教をして、本人の心に、
「3ちゃいの子でも、ほしいものは、自分で決めているんだから、わたしも、これからは、☆ちゃんと自分で決める☆」という新たなスイッチを、創ってさしあげた。
何度も、お礼を言われ、駅までの道すがら、上を見上げると、今日も、満月かぁと見紛うほどの十六夜が、輝いていたので、
コンビニに寄って、アイスコーヒーのSと、糖分補給に、雪見だいふくココア味を買って、
雪見だいふくを、月見だんごにみたてて食べたあと、甘さ解消に、アイスコーヒーをグビグビ飲んで、今月の月見で一服を 味わった(笑)。
ねずみ年の智恵聖人 子(ね)の 248 は… (^∀^)
☆聖ラウレンチオ・ユスチニアノ(ラウレンティウス・ユスティニアニ)
この聖人は、自己放棄の修練によって、自分に厳しく他人には寛大だったヴェネツィアの初代総大司教。「すべての複雑な事柄の中には悪魔が潜んでいる」という名言を残した。
◯属性:なし
(この聖人が守護する対象:ヴェネツィアの家父長制)
(この聖人のゆかり:1381~1455年。ヴェネツィアの貴族の家に生まれ、信心深い母の手で育てられた。19才で回心、母の勧める結婚話しを断り、伯父の司祭がいる聖ジョルジョ修道院に入った。勉強、祈り、苦行に励み、司祭になった後、1433年、カステロの司祭に任ぜられ、1451年70才でヴェネツィアの初代総大司教に任命され、74才で帰天)
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この記事に対するコメント
えっ!私のこと?!って思う程、当てはまり過ぎの内容でした笑
幹があって枝葉があって、一見ちゃんとした木に見えるけど、幹が空洞だから、どっしりした木になってない…と、自分のことを考えていたので、そういうことかぁと思いながら、読ませていただきました。
近々、新しいことを一つ始めるので、これを機に、「自分で決める」ことを怖がらず、スイッチを押したいです。
気付かせていただき、ありがとうございます!