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教えることとは、相手に、不満を芽生えさせず、プチよかったを育むものでないとね ・・・☆☆☆

  • 2020/08/22(土) 05:22:01

きょうは、1日、3件の 人たちと 会っていた。

1件目は、親が、我が子に、なにを教え どう育むか、

2件目は、会社の先輩側が、会社の後輩に、なにを教え なにを育んであげるか

3件目は、子どもたちに、なにを教え、なにを教わるか、また夫婦関係で、ダンナ側が、なにを嫁はんに教え、なにを教わるか、嫁はん側は、ダンナに、なにを教え、なにを教わるか、

そのどれもが、
「教えることとは どう教えるかを、教わることであり、
教わることとは、なにを教わったかを、だれかに教えることができる」という話しになった。

わかりやすく言い換えるなら、学校では教えてもらわなかった「人生の教育」についてのテーマの話しに、それぞれがなっていった。

教育は、分解すると、教えることで、育む面と、
教わることで、育まれる面とがある。

つまり、教育を一面性だけで、教育すると、

子育てにしろ、夫婦関係にしろ、上司と部下の関係にしろ、

うまくいくものも、うまくいかない。
なにしろ50%しか、教え、育む形ができていないのだから、当然といえば当然の摂理が働く。

あえて、教えないことが、「教えとなる場合」もあれば、

また、丁寧に、教え過ぎるぐらい教えることが、「なにも教えとならない場合」もあれば、

必要なとき、必要な言葉を、その子(その相手)に、一言添えてあげただけで、「大きな教えとなる」もあれば、
反対に、教える側が、
今こそ、この子(この相手)に、必要な言葉を、ドヤ顔で言ってあげたときほど、その子(その相手)には、「なんの教えにもつながらない場合」もあれば、

なにも、必要でないときに、必要でもない言葉を、雑談ついでに話したことが「一生の心の支えとなる教えとなる場合」もあれば、
反対に、教える側が、
必要なとき、良かれと思い必要以上の話しをしたことが、「一生、この人のいうことは、もう聞かないと、その子(その相手)の心に、強く宿らせてしまう場合」もある。

片方だけの教えでは、半分しか、育まれるものがないということ。

教える側は、教わることを 常に忘れず、
教わる側は、今、なにを教わったか、大事な点が何度でも振りかえることができ、
そのバランスの接着剤となるのが、肩ひじ張らず、わかりやすくいえば、
教える側のくるくる○ーな部分と、教わる側の、まだ、なにも知らないくるくる○ーな部分を合わせること。

大抵、おとなや、親は、自分のカッコわるいことは言わずに、
言い換えれば、過去に失敗したり、ドシをふんでたり、恥ずかしい思いをした出来事を隠し、
我が子や、部下や、その大切な相手に、良いことだけを言って、上手くいかせようとするから、上手くいくものも、上手くいかない。

「一生を通しての教育」は、自分を含み、自分は、まだまだ、なにも世の中をわかっちゃいないという意識や、自覚があれば、教えるときも、教わるときも、

子育てにせよ、夫婦関係にせよ、上司と部下の関係にせよ、不満を芽生えさせずに、築いていきやすいってこと。

教えた側にも、教わった側にも、不満が芽生えれば、

それは、不満が 育まれただけってこと。

そうではなく、

あぁ、きょうこの先生に会って、良かったとか、
あぁ、きょう、お母さんにあの話しを聞けて良かったとか、
あぁ、きょう、○○さんに付きあって良かったとういう、
あぁ、あのとき、お父さん(先生・先輩・上司)に、しっかりわかるまで、叱られていて良かった、

また運がいいと、あぁ、あのとき、あきひろ神様から、あほ、ボケ、カスって言われていて、ほんとに良かった(笑)など、

教える側の教えたことが、ちょっとでも浮かばれるのは、

プチ満足を、育んであげられて、ナンボである。

それなのに、多くの場合、
お母さんや、上司が、教えるとき、教える側が、
もう、こいつは、何べん同じことを言わせんだぁ、ああ?って、
なにか教えるてあげる機会がきたとき、
教える前から、こんな簡単なこともわかんねえのかとか、
めんどくせぇこと聞いてくんじゃねぇとかの不満をすでに宿していて、
その不満をぶつけるように教えていては、
相手に、通じるわけもなく、
さらに、相手には、不満を育くませてしまうってことを、何度も やらかしている。

教える側は、始めから、何度でも、教えてあげるから、何度でも、同じことでもいいから、いつでも聞いていらっしゃいという心の姿勢がいるのに、

今、多くの教える側は、たいした語彙力も使っていないくせに、
または、教える側が、わかりやすくいってるつもりだけで、
本来は、その相手、その相手で、理解力がちがうため、
わかりやすく言ってあげるパターンを変えてあげなきゃ、相手に伝わらないはずなのに、
そこに、まったく着眼しないまま、
ワンパターンの教え方で、教えた気になって、相手が理解できなきゃ、こいつはダメだと思う教える側の面々が、むちゃくちゃ増えた。

わたしだって、人生哲学とは なんぞやって問われれば、まだまだ、こたえにつまる人生半ばのくせに、
または、まだまだ、知らないことだらけのくせに、

ちょっと、自分がわかっていることを、教えるとなったとき、つい、えらそうにしてしまう。

そんなことでは、なにを教えても、教えながら、その人自身の、まだまだ足らない本質が、教える相手に、「こいつは、教え方がヘタだなぁ」と、透けて見えてしまい(笑)、
相手が、まともに聞く気も失せ、聞かなくなってしまう姿勢を、育ましてしまうだけである。

願わくば、教える側は、教育者じゃなくとも、そこを 常に、チェックしておきたいものである。

とまぁ、
どんな「教育」も、一発で理解させ、一発で理解しましたっていう関係のほうが、あぶなっかしいと、

きょうは1日、賢者として、3件ともに、それぞれ、知恵ばなしをして、
それぞれの相手様方たちに、「わかりやすいです」と、言ってもらえる、
とても わかりやすい、プチくるくる○ーばなしをしていましたとさ、チャンチャン(笑)。


ねずみ年の智恵聖人  子(ね)の 235 は…  (^∀^)

☆(リマの)聖女ローザ
この聖人は、家庭内の問題などで祈願され、ペルー、南アフリカ、フィリピン、西インド諸島、新大陸最初の聖女で「ロサ・デ・サンタ・マリア」といわれた。
◯属性:バラ
(この聖人が守護する対象:ペルー、南アフリカ、フィリピン、西インド諸島、花屋、園芸家、フラワーアーティスト、家庭不和に悩む人、ケガをした人、火山の噴火に遭った人)
(この聖人のゆかり:1586~1617年。ペルーで生まれる。その美貌のためローザ(バラ)と呼ばれた。実家が鉱山事業に失敗し、極度に貧しかったが、花を売ったり、刺繍をして家計を助け、貧しいインディオたちも施した。20才でドミニコ第三会に入り、トゲのついた茨の冠を頭につけ、庭のあずま屋で、その美しさが、人目をひかぬようわざと醜く化粧して、隠者のようにくらした)

この記事に対するコメント

酷暑の候 お元気ですか。

こんな夢を見た。

あきひろさんが豪快に笑っている。
場所は、どこかの池か湖のほとりのよう。

目の前で、たくさんのタンチョウヅルが
群れて遊んでいる。
そのタンチョウヅルたちは、
黄色の綿毛のような、
オーラのようなものに包まれて
群れて遊んでいる。

と、そこで目覚めたので、
麦茶をひとくち飲んで、また寝た。

すると、次の夢にまた同じ光景が
広がっていた。

もう一回起きて、眠い眼をこすりこすり、
朝ごはんを食べて着替えて、
試験会場へ。

面接の待ち時間が長いので、
「おくのほそ道」を開いたら、
松島のお話。

松島や鶴に身を借れほととぎす 曾良

「鶴」つながりで、
なんだか嬉しかったです。

  • 投稿者: 長野シン
  • 2020/08/22(土) 13:26:14
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秋暑の候

ですね👍️

  • 投稿者: 長野シン
  • 2020/08/22(土) 13:38:18
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教育者だから

なぜ、言うこと聞かない相手に「言わんこっちゃない!」って思う時も多いはずなのに、何度も教えることができるか。
それは、「教育者だから」。
心に響きました。
教えた気になっていること多いなぁと反省しました。
教育者であれるよう、くるくる◯ーだけど(だからこそ)、教員を続けていこう、頑張っていこう、学んでいこうと思っています!ありがとうございました。

  • 投稿者: りょー
  • 2020/08/23(日) 00:20:25
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