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そこらへんの草より もろいもの(笑) ・・・☆☆☆

  • 2020/06/19(金) 03:45:01

責任感が 強い人は むかしから 信用にあたいする人のイメージをもたれやすい。

とかく政治家のみなさんには、それを宿してもらいたいが、
なかなかどうして、今の政治家のみなさんには、それを宿していないイメージがある。

江戸時代、白隠という和尚さんがいた。
ある時、寺の前にある花屋の娘が妊娠した。
娘の両親は、それを厳しくとがめ、相手の名前を問いただした。
娘は、口から出まかせを「実は、お寺の和尚さまに袖をひかれ、心ならずもこのようなことに」といったものだから、両親は寺に怒鳴り込んだ。
ところが、「あぁ左様か。ほうほう、左様か」と白隠はいうばかり。
やがて、娘が男の子を産んだので、両親はお寺で引き取ってもらうよう押し付けた。
そのときも、白隠は、左様か、左様かといい、ニコニコ顔で引き取った。
このことが、近所で大悪評となり、白隠が外に出ると、罵声をあびたり、みなに冷たい目でみられた。
何年かたち、娘は、寺の境内であそぶ男の子の成長を陰ながらみてきて、
とうとう良心の呵責にたえかね、両親に、自分のあやまちをうちあけた。
「あのとき、実は恋人がいて、その好きな人の子をどうしても産みたく、和尚さまならきっと、わたしのこのウソも、いつの日か正直に話せば許してもらえると思ってしまいました」と白状した。
それを聞いた、両親は、平に平に頭をこすりつけ心からの詫びを申し上げた。
そのときでさえ、左様か、ほうほう、左様かと、ほほえみながら 聞いてくださったという、
おはなしがある。

今、ネット上での若気の至りのウソも、真実を知っても、謝りにいかない親が多い世の中で、
白隠禅師の、このおはなしは、

瞋(いかり)に、つき合わぬことが、大理に明るいとおっしゃった仏を信じきる言行のあらわれであり、仏さまのおしえを信用しきって、なにも言わず、ただ ほほえんでおられた。

また、若いながらも、自分のウソをいつか正直に話せば、和尚さまなら、きっと許してくださると、信用しきって、両親からおろせと言われんばかりの状況から、ウソをついてでも好きな人との子の命を守った娘の、「この和尚さまなら、きっと」と見抜き、その自分の眼力を信じきらせるほどの 信用を、ほほえみながら、実践した、白隠禅師は、

責任感が強いヤツほど、瞋りに負け、疑いをかけられたとき我をさらけだす。
じゃが、責任感がさほどないヤツは、なんにつけほほえむことしかできんことが、
仏様から 御加護を承りやすいもんじゃ。
仏様も、いつもほほえんでおられる。

どっちが正しいかなど、ほほえみの前には、草の葉よりもろい、とのこと。

コロナで、ギスギスして なんかイライラしがちな御仁には、

白隠禅師の (ほうほう左様か)といいながら、ほほえんでみては いかがかな(笑)。

  
ねずみ年の智恵聖人  子(ね)の 171 は…  (^∀^)

☆(マクデブルグの)聖アダルベルト
この聖人は、キエフの大公妃の要請で布教に派遣されたドイツの修道士。
◯属性:なし
(この聖人が守護する対象:なし)
(この聖人のゆかり:異教徒の王子の迫害を逃れてドイツに帰り、オットー大帝からウェイセンベルグの修道院の院長に任命された。修道士の義務は教会の歴史を記録することであるという信念をもっていた彼は、教会史の編纂に力を注いだ。この年代記は今日まで残る。968年、オットー大帝の国教政策により、最初の大司教に任命された)


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