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脳の配線 ・・・☆☆☆

  • 2020/05/10(日) 03:52:08

きょうは、小田原城のそばまで、

世の中の大人が怖くなった子を元気づけに行ったのだが、

もぅ、緊急事態宣言が、解除されたかのような、人出だった。

みんな、家にいるのが、いややねんなぁ。

今まで、子どもに、じっと家でしてなさいって言うてきた大人は、

子どもたちから、「大人らだって、家で、じっとしてられへんやん」って言われるだろう(笑)。

今は、不要不急での外出を、まだ ゆるむことなく控えてくださいって時期なんやけど、

あわてる◯◯きは、もらいが少ない、動きをしてしまうねんなぁ。

そりゃ、こんな 都合の良い大人のズルい背中姿みてたら、

なにが ほんとか わからんようになった子ほど、ショック受けわな。

4月に休校なって、家にいるうちに、外にでるのが、
むちゃくちゃ怖くなり、
先生が、プリントを 持ってきてくれたとき、
その先生にさえ、会うのが怖くて 部屋から出れなくなった9才の子から

「ねぇ、あきちゃん、どうしてさぁ、大人はさぁ 
自分たちが決めたことをさぁ、子どもたちにだけには守らせてさぁ、
自分たちは、守らないの?」と聞かれた。

「それはさぁ、大人の頭蓋骨の中にもさぁ、脳ミソの配線ってのがいっぱいあるやけどさぁ、
その配線の中で、社会や、物事のルールを守る配線とか、自分の言うたことを守る配線とか、約束を守る配線とか 「守ること」に関する配線が、大人になって、老いれば老いれるほど、接触が、どんどん悪くなって、
しょっ中、切れてしまうのが、大人の配線ってやつでさぁ、
お母さんは、すでに、きのう、何を食べたか、思い出せやんだりさぁ(笑)、
大人の中にはさぁ、脳ミソが、コロナより恐ろしい、イライラウィルスにやられて、
このカラのペットボトルみたいに、スッカスカになってたりするからな(笑)。

でもさぁ、ちゃんと、世の中の大人をよく見てみ。

君からしたら、子どもらに守らせようとする大人が多そうに見えるかもしれんけど、
よく見れば、大人のなかには、
子どもらが悪さしても、なんも言わず、ゆるしてくれる大人も、ちゃんといたり、
子どもらの言い分を、くみとってくれる大人がおったり
子ども同士が決めたルールを、別の子が、守らんでも、その守らなかった子を かばったり、
ひとりぼっちの子どもに、手をかしたり、ピンチを救ったり、
心を寄せてくれる大人が、ちゃんとおったりするからな」

「あっ、そうか。あきちゃんも、そうだよねぇ?」

「オレかぁ、オレは、あかん。悪さばっかりして、脳の配線がショートして、脳ミソが、ドロドロの ウ◯チになってしもたからなぁ(笑)」

「きゃはははは、脳ミソ、ウ◯チ だって、あはははっ、
じゃあさぁ、あははっ、あきちゃんのさぁ、頭さぁ、あはっ、くはっはは、ウ、ウ◯チくさいぃ?(笑)」

「おぅ!あたまだけとちゃうどぉ、もぅ全身、めっちゃウ◯チくさい(笑)」

「きゃはははははは」(イスから、くずれ落ちて、これげ回って笑ってた(笑))

笑いこけたあと、守る守らないは、どこにあるかの智恵はなしして、
絵本を1冊読ませていただき 
 
そのあと、一緒に、1階のリビングに、降りていったら、

お母さんが、なぜか目をうるませ、シュークリームと、アイスコーヒーを お盆にのせて持ってきながら、

「なにを、笑ってたの?」と聞いただけで、

その子は、おれのほうに、パッと指さして、ソワァーのクッションにウ、ウ、ウーっていいながら(笑)、顔をつっこんで、大笑い(爆笑)笑)。

帰り際、車まで 送ってくれた お母さんが
「あきひろさん、ほんとに、ほんとに、ありがとうございましたぁ。あの子が、あんなに、大笑いするの、始めてみたら、もぅ、涙が出てきちゃって。わたし、ほんとに、口うるさいだけで、ほんと、ダメだったんですね。あきひろさんから、あれだけ、明るくって言われてたのに、なんにも、してあげられてなかったんだってことが、もぅ・・・(しばらく泣いてたので) 」

「まぁ、これからは、我が子の 笑い声を、「母ごころの栄養」にしてかなな」

「(うんうんうなづきなから) は ィ」

大人は、
子どもたちが、コロナショックより、
大人の都合のよさショックで、笑顔を失くしてしまうほど、
かよわいことを、忘れてはならない。

家の中に、明るさがないと、
人が持つ「思いやり、優しさ、ユーモア」に関する
大事な 大事な配線も、切れやすくなるから、
大人のみなさんは、重々、ご注意してくだされ(☆)


ねずみ年の智恵聖人  子(ね)の 131 は…  (^∀^)

☆聖フランチェスコ・ディ・ジロラモ
この聖人は、ナポリのイエズス会で熱き説教家。
◯属性:なし
(この聖人が守護する対象:伊ナポリ)
(この聖人のゆかり:11人兄弟の長男で、1676年からナポリとその近郊の農村で説教活動を行い、簡素にして明解で「人と話すときは子羊であっても、説教をするときは獅子であった」と評された。監獄、売春宿、犯罪者を乗せた船にまで乗り込み、烈火のごとき説教で人々を回心させた)

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