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名僧の言葉は、メンタル に効くなぁ ・・・☆☆☆
- 2020/04/11(土) 01:26:02
きょうは、中国の仏の道で修行した名僧方について、
ある教授と、一緒に図書館で、本を 読みあさり、
そのあと、コーヒー片手に、煙をくゆらせながら、
徳の高い、有意義な時間を授かる好日となった。
その際、いい言葉に出逢ったので ご紹介しよう。
その言葉は、「独坐大雄峰」という言葉。
百丈(ひゃくじょう)という名の禅僧が、
あるとき修行僧から
「いかなるか 奇特の事」と、問われた。
(問うた意味は、2つの意味があり、奇特を(きとく)と読んだ場合、
「殊勝(=特に優れている・意)」を指し、
(きどく)と読んだ場合、「霊験、不思議な力、しるし・意」を指し、
百丈に、この両者の意味をかけて問うたのである。
わかりやすくいえば、
「禅を聞き、修行すると、どのような霊験な収穫がありますか?」と問うたのである。
瞬時に質問の意図をくみとった、百丈が 即返した言葉が、
「独坐大雄峰」であった。
独坐は、孤独な自分が坐っている意味ではなく、
かけがいのない絶対の独りの自分と、尊い存在である真実の自分を指すのが、独坐。
坐の字を説くと、「土」の上に、2つの「人」がいる。
この場合は、
(仏・ほとけ)と、ただの人間(凡夫)を意味し、
わたしの内には、この2人の自分が常に同居している。
この2人の、自分同士の会話が多ければ多いほど、その人の心はゆたかになり、会話が少なければ、心は貧しいままである。
その会話の頂(いただ)きに、そう、わたしの住まうここ、大雄山の頂きに至るまで会話をすれば、自ずと、その霊験は、授かるであろう、と、
百丈は、
この「独坐大雄峰」の言葉で、こたえ、諭し、そして
「このわしでさえ、修行の身でありながら、頂きを目指しておる。おまえさんも、おまえさんの頂き目指し、修行を重ねなさいなぁ。
お互い、仏様のもとまで、まだまだ、修行をしようぞ」と説いたのである。
イッツ・グレート! お見事! あっぱれ!
オレも、かけがいのない自分(凡夫)と、
仏様のもとへと修行をつむ自分との会話をして、
コロナ・ショックを、乗り切り、
その先の「頂き」目指して、修行に励まねば☆
よき言葉は、メンタルに効くなぁ。
「独坐」ねぇ、響きええな。
ほんまに、ええ言葉や。
それでは。
ねずみ年の智恵聖人 子(ね)の 102 は… (^∀^)
☆(ヴェローナの)聖ゼーノ
この聖人は、洪水のとき、その名を唱え、悪魔から赤ちゃんを守る守護聖人。
◯属性:さかな、つり竿
(この聖人が守護する対象:伊ヴェローナ、釣り人、赤ん坊、洪水に遭った人)
(この聖人のゆかり:伝説によると、北アフリカに生まれ、生後まもなく、悪魔の仕業により、悪鬼とすりかえられ、ある修道士のもとで育ち、のちに、その悪鬼を退治したという。釣りが好きだったらしく、魂の救済者を表す「魚」と、つり竿がシンボルとなった。ヴェローナの司教となり、皇帝ガリアノスの娘の悪魔祓いをやってのけるほどの、悪魔祓いの聖なる力を持ち、天からやってきた赤ちゃんを守護した)
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