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同じ轍(てつ)を踏む者 、踏まぬ者・・・☆☆☆
- 2019/12/27(金) 01:06:06
きょうは、雨が降りそうで、降らない くもり。でも、日が落ちる前あたりから、雨となった。
いつも、年の瀬が、せまると、思うことがある。
いや、正解には、そう思わせられる連絡が入ると言ったほうがいい。
一方は、「おかげで、良い年になりました」という類いの連絡、
もぅ一方は、「あきひろさぁーん、この年の瀬に、わたしでは、どうすればいいかわかりません」「また、次なる難がやってきました。どうしてなのでしょう」という類いの連絡。
前者は、運が、開けて明るくなっていくような連絡、
後者は、運が、まだ明けない、暗さが残る連絡と言い換えてもいい。
そこで、後者の特徴を、この〆干支のイノシシの、
しかも、年の瀬、
新たな年から変わっていただくためにも、一つ言っておこう。
孔子、孟子の時代から、
頑固な自分ほどやっかいな自分はいない。
その頑固さを、直すために、天は、その者に、
何度も「轍」を用意する。
わかりやすくいうと、だって、でもという者ほど、
自分の中に、「変わることを恐がる自分」がいる。
それが、その者の、頑固の正体。
そのため、変われば、この年の瀬、
前者のような、良い年だったといえる「年」に、自分の力でできるのに、
自分の過去の、ちょっとした「成功例」を基準にして、
どんどん、いい方に変わることをせず、
そのままで、事を為そうとして、
自ら、難儀を呼びよける。
つまり、天から轍(てつ)を用意されたとき、
今までと、違うやり方をやればいいのに、
今までと、同じやり方、同じ基準、同じ解釈、同じ成功例を求めるため、
ちゃんと、同じ轍を踏むことになる。
まぁ、変わらなければ、または、今までの考えや、やり方を断捨離できない者は、
どうぞ、来年も、干支始まりから、
たくさん、「同じ轍」を踏みつづけなさい(笑)。
平坦な道は、ない。人生も同じく平坦な道は、ない。
であれば、山道、坂道、階段、細い道、暗い道、たまの平たい道、道に応じた「歩幅」を変えることが、転ばない智恵 ・・・ (^o^)
きょうの吉兆の報らせを運ぶ、吉鳥は
△ ノスリ 吉鳥ことば・・・新たな一歩
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