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自分の見識 ☆☆☆
- 2019/05/19(日) 08:11:07
きょうは くもり、ちょっと雨、くもり、はれ、夕焼け、
そして夜、くっきり輝く小満月となり、
空の神様が、ほとんど顔をだしてくれた。
そんなおり、厄年の女子大生3人と 一緒に、
住吉神社にお詣り。
みなに、令和の時代を、明るく、タフに、生きぬいていけるよう、
願掛けをさせていただいた。
そして、夜、自分で決めた道は、自分で決めたこと。
その自分で決めたことを、自分が守るか、守らないか、
また、自分で決めたことでさえ、うまくいかないことが起きるたび、だって、でも、こんなはずじゃなかったと、
うまくいくために、できることもせず、
親が、勝手に決めてきたときのように、嘆いたり、愚痴ったりする。
嘆こうが、わめこうが、万と愚痴ろうが、うまくいくために、できることをしていないのであれば、現状は、なに一つ変わるわけがない。
また、自分で決めたことなのに、始めから、自分を信じていなければ、うまくいくわけがない。
うまくいかなくなったから、誰か、うまくいくように手を貸してくださいと呼びかけても、誰も、手を貸してくれないのは、あたりまえのこと。
それはなぜか? じゃあ、もし、なにごともなく、うまくいき続けたとき、
「わたしは、今、うまくいってるので、誰か手を貸してほしい人?わたし、手伝いますよぉー」と呼びかけるのかぃ?
うまくいかずに困っている人のために、手を貸し助けてあげられるのかぃ?
当然、そんなことしてこなかったでしょうが。
うまくいってるときは、自分だけが、うひひと、自分だけの喜びにし、
うまくいかなくなったとたん、自分だけでは無理なので、手を貸してっていってるのに、誰も手を貸してくれないなんて、みんなヒドイと、嘆いたって、
その、1人よがりの性格に、神様、仏様、他人様が、
「そんなずるい性格のやつに、なんで、手をかす必要がある。おまえは、今まで、そんな性格のやつに、手を貸してきたのか、貸さなかっただろ?それがあたりまえだからだ」と、
あたりまえにしてきたことが、あたりまえに返ってきただけのこと。
自分で決めたことでも、うまくいかないことが起きるのは、
あたりまえのことに気がつかない、めでたさ。
はじめから、そこに気がつかないほど、
自分の考えに、あまえあり、抜けてることあり、見えてないことあり、
プラス注意散漫、なにをしていいのか、なにはしてはいけないのかの見識力のなさ、
さらに、道徳観、倫理観、愛情力に乏しため、
「うまくいくことも うまくいかないようにしてしまう才能に、満ちあふれている」のさ。
そんな、おはなしを、やんわり、まったりさせていただいた。
うまくいかせたいなら、うまくいくための流れに流れている すべての 当たり前のことをするのは、当たり前のこと ・・・(^o^)
きょうの吉兆の報らせを運ぶ、吉鳥は
△ イカルチドリ 吉鳥ことば・・・ 当然のむくい
- 日記
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