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自分に自信がない のに、刷り込まれ た「正しいとされ ること」には、わた しは、そんなこと はしてこなかった という、その1点 に自信を持つから、 邪気まるけになる 。ほんとは、ただ 、ビビって、した くともできなかった 弱さが、邪気のエ サになるから、次 から次に、邪気が 寄ってくる ☆☆☆

  • 2018/10/12(金) 04:29:03

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

きょうは、ほとんど くもりで、たまに、雲間から、日がさした。

そんなおり、新米ママたちの
「あきひろ大権現様に、お叱りを受けよう」の会に、降臨した(笑)。

みな、赤ちゃんを託児ルームにあずけ、

上は、白の服着用、下は、赤ならジャージだろうが、赤パンだろうがかまわないが、赤着用、そして、みな裸足で参加してもらった。

そして、一人づつ、「邪」が、くっついてくる原因を、お告げさせていただいた。

ある、邪気まるけのママには
「あなたは、自分は、めんどくさがりのくせに、そこを今のダンナに、いいよオレがやるよって言ってくれるようになって、年々、邪気が貯まった形です。ちゃんと、めんどくさがらずに、家のことをしないと、特に、洗面所が汚いのは、あなたがキレイにしないといけないんですもの」と言うと、あまりにも、心に、言魂剣が深く突きささったのか、目から一気に涙があふれ、こうべをしずしずと垂れた。

また、別の 邪気が身体に巻きついたママには
「あなたは、子どものころ、4年生ぐらいから、自分が悪いとわかっていながら、それ以後、なんじゃかんじゃ何か、そのとき頭に浮かんだだけの言葉を半ギレ状態で言うことで、素直にごめんなさいと、言ってこなかったのが元で、太い邪気が、巻きついているので、今後は、まず、自分が悪くなくても、すぐごめんなさいと言いなさい。でないと、あなたの大切な人にも、あなたの邪気が、別の邪気を呼んでしまう恐れが高いので、とにかく、あやまるんですもの、を肝に命じなさい」と言うと、

「あぁーうわぁ、ほんとに、ごめんさない、怖い、ごめんさない、ほんとに、ごめんさない」と、思いっきりビビった表情になり、ハッとなって しずしずと、こうべを垂れた。

もぅ一人は、邪気が、さざえの殻のような形のママで
「あなた、高校ぐらいから、自分がしてあげたことに、お礼の言葉か、なんらかの、あなたに「ありがたさ」を表す見返りがないと、かなり家に帰って、不満をつのらせてきたでしょ。それが元で、邪気が、あちこち突起してるんですものね。これ、あなた、相手様になにかしてあげることを美徳と思ってる、そんな思い違いをしてますね。本来、人は、一人でいきられないから、人に、なにかお願いしたり、頼んだりするときが必ずきます。そんなとき、力になってくれる人が現れてほしいと、心のどこかで願っています。その肝心なとき、力を貸してくれたり、助けてくれる人に恵まれるためには、なんにもないときから、人に、優しく、明るく、自分ができる範囲で、なにかしてあげられることがあるなら、してあげたって別?!
?困る
こともなし、それなら、この相手様に、今回は、させていただこうかしらと、させていただく行為であり、それを、仁徳と言います。美徳は、なにもしていなくても、してあげたいなぁと想像できるだけでも、美徳となるので、解釈をあやまらないで、ほしいんですものね。そんなあなたは、これから、できないことは、できない、できることでも、ここまでなら、できると、言える 勇気をもちなさい。でないと、みんなが、あなたを、おせっかいなだけの人と思って、周りのみんなはもちろん、家族でさえ、心が、だんだん離れていくんですものね、ご注意を 」と言った瞬間には、
ただ、こうべを垂れ、肩をふるわし、泣かれてみえた。

最後に、
「みなさん、ごくろうさまでした。ただ、注意すべき点を、おのおの心して実践してください。
そして、今一度、みなさんに、注意しておきます。

これは、あくまで「会」であって、決して、宗教ではないので、間違えないように」(超×10=大大大(泣)大大大爆笑☆☆☆)))))))

邪ユキ、おつかれさん。

とりあえず、おまえが、だまって、クツをそろえろ(笑)

そして、「いのりなさい」(大大大爆笑)


良き涙は、今までの、ズルイわたしを、川面に浮かぶ葉っぱのように、流してくれる  ・・・♪


285日目の名言は 
   
   与えることは犠牲を払うことだから美徳である、
   と考えている人もいる。そうした人たちに、言わせると、
   与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ
                  エーリック・フロム   ◯                                                  
   ☆相手に何かを与えることに対し、自分が犠牲になることでと
    考える人がいる。でも人に与えることで、「犠牲」どころか
    自分が「満たされること」がある。これが味わえるだけで
    十分。だが、行きすぎた自分を宿している者は、「自分を
    犠牲にしてでも相手に与えること」を美徳だと思い、
    自己犠牲の精神を神聖化して過ちを冒しやすくなる。


  
  Good Luck (^o^)/

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