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連日の 西方浄土の 光をあびて ☆☆☆
- 2018/08/15(水) 01:36:03
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
きょうも、カンカン天気。
夕焼けと、三日月がキレイで、しばらく
タバコ吹かしながら、しみじみ見てしまった。
しみじみとは、
どの家(うち)の ご先祖さまたちが、大勢で、
こっちに 来られやすいよう、
西方浄土からの光に、あふれているんだろうなぁと
さらに、三日月船が、浮かんでいたので、
あの船にも、
「わしの子孫たちは、元気にしておるかのぅ」
「早く、ひ孫の顔が見たいわね」
「なの心配性の嫁が、つまらんことで悩んでおらんだろうか」
「うちのせがれは、次なる夢は、なにをつかみにいこうとしておるかのぅ」などなど、
たくさんのご先祖様たちが 順番待ちをしているんだろうなぁと
しみじみしてしまったわけである。
ご先祖様は、かつて、肉体を持って、たしかにいた。
今は、肉体を離れ、たしかにいる。
ご先祖様、うちの一族は、みな、訓えどおり、
自分で決めた道を それぞれ、不安をかかえながらも、
自由に、日々、明るさ忘れず、
歩んでおりますよ。
なかには、ぽわ~んと、歩んでいるヤツもいますが(笑)
ご先祖様、笑って、
それぞれの、道の邪を祓っておいてあげてくださいな。
良き ご先祖様の うやまいには、笑顔になるような お知らせが、あの世から、とどく ・・・♪
227日目の名言は
不安は 自由の めまいである。
キェルケゴール ◯
☆「自由である」とは、可能性にあふれている、ということだ
可能性にあふれている、といえば聞こえはいい。でも、
可能性にあふれているとは、不確かで未知である、という
ことでもある。つまりそれは、保証がない状態なので、
不安が湧きあがる。不安は、まさに、自由が引き起こした
「めまい」みたいなもの、とキェルケゴールは説いた。
Good Luck (^o^)/
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