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お盆に、一族みなで、ご先 祖様に手を合わす ☆☆☆
- 2018/08/14(火) 02:49:04
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
きょうは、夜中から暑く そのまま朝から、暑さの上乗せとなる天気となった。
そんなおり、
このお盆は、おやじの、十三回忌の法事と重なり、
一族みなが、集まった。
お和尚さんの あとについて、お経をあげる。
お経の文言には、すべて 粛々とした意味がある。
その意味を 問うても 意味がないという「意味」が説かれていたりするから、おもしろい。
また、阿弥陀如来様の光は、
人の言葉では、とてもいい表せないほどの光で、
その光が、悟りへと、導いてくださるから、ただ、信じなさい、
と 唱えていたりしています。
ブッタは、その光を、ただ、信じ、悟りを開かれたので、
「解脱」し、釈迦如来となられたのでしょう。
親鸞上人は、そのあたりを 当時、わかりやすく説かれ、
その訓えが、今、我が一族にも 慣わしとともに、智恵の光明として
触れさせてもらえている。
ご先祖様、このお盆の時期、ゆっくりこっちで休んでいってくださいね。
我が一族、みな明るくくるくる◯ーをしておりますので、
ついでに、一緒に、たくさん笑っていってくださいな◎
みなさんのご先祖様も、楽しんでいかれますように。
合掌
良き お務めをさせていただくと、西方浄土から あかぬ色の光が よく とどく・・・♪
226日目の名言は
「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから
誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を
問うてはならないのです
V・E・フランクル ◯
☆私たちはよく、人生に対して「生きる意味はあるか?」と
問うたりする。フランクルは、これを間違っていると諭す。
問われているのは「私(たち)」である。人生こそが
「きみは、私(人生)に何を期待する?」と問うている。
この先、何が起こるかは誰にもわからない。私たちに
できるのは、人生からの問いかけに対し最善をつくすこと。
常に私たちは、「さて、どう生きる」と
人生から問われている。
Good Luck (^o^)/
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