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母親が、息子こいし さに、電話をしまく ると、息子は 巣立 ちに失敗する ☆☆☆
- 2018/04/21(土) 02:55:04
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
きょうは、初夏を感じる日となった。
そんな暑い中、明治神宮の神宮の森は、ちょうどいい涼しさを
提供してくれていた。
この3月に、地方から東京の大学に通うため、上京したものの、
一人ぐらしのメンタルがゆらぎ、
大学へ 1回行ったものの あとは、借りたばかりのワンルームから
ほとんど出れなくなり、
そこに、風邪をこじらせ、地方からお母さんが息子を看病するために
出てこられた。
そんな息子と、お母さんと明治神宮で お逢いした。
まず、息子に「君、この暑いのに、そんな真冬用のジャンパー着て、大丈夫かぁ?」と聞いた瞬間、
横にいたお母さんが、「脱ぐ?」と、世話をやいたので、
「君、大学生にもなってジャンパーも自分で脱げやんのか?いや、その前に、暑い寒いが、わからんのか?」というと、
また、お母さんが「わかるよね?・・・脱げるよね?」と横から口を出した。
そこで、お母さんに
「お母さん、僕、息子さんに聞いて、息子さんの声が聞きたいんやけど、お母さんに聞いてないのに、お母さんの声しか聞けへんやんか」というと、
息子が、「はっ!」としたので、
「おっ、ちゃんと反応できるやん。ほな、お母さんに、ちょっと
席外してもらおかぁ。お母さん、過保護もええかげんにせぇってぐらい、邪気まるけやから、本殿にお詣りに行ってきてください」といったら、
息子の口元が、ちょっとニッとした。
お母さんが、詣りに行ったので 息子に
「さて、君さぁ、なまえなんていうの?」
「S J です」
「わかった。で、Jくんさぁ、麻雀できる?」
「えっ! はい ・・・高校のとき、少し」
「ほな、絵本つかわんでも、麻雀で話しした方が早い」といって
どうして、自分が 東京に出てきてこんな精神状態になったのか、
わかりやすく、やさしく説いてあげた。
途中、お母さんが詣りから帰ってきたのだが、次は竹下通りに散歩にいってもらった。
最後に
「今、Jくんと同じ年ぐらいで、自分が、何者なのかわかってんのは、すでに、オリンピックを目指してるアスリートぐらいや。Jくんは、まず、自分で、お母さんから刷り込まれたいろんな価値観を、自分で薄めていくために、いろんな人と出逢って、いろんな価値観を触れた人らからもらってこか。麻雀でいうなら多面待ちは、あがりやすいやろ?まず、東京に出てきたんやから、Jくん、1回は、あがろーぜ。でないと、このまま、1回もあがらんと?」
「・・・あっ やきとりですね(微笑))」
「そやな。それがイヤなら、ええ杯引くために学校いこか」
「はい!」
「おっ、ちょっとは、元気出てきたやん。ほんで、あらためて聞くけど、きょう暑い?それとも寒い?」
「(笑顔) あついですw」
「そや、きょうは、暑いんや!もぅ、そのジャンパー必要ないな」
「はい!」
頭ぐりぐりしながら、「よっしゃ J、おまえ、きれいになったから、もぅあの おかんに会わんと、おまえは、帰れ。あとは、オレが、今から ちょっと あのおかんに、いろいろ邪気除けもかねて、過保護もええかげんにせぇって、お灸すえやなあかんから」
「あはは、よろしくお願いしますW」
「あいよ」といって、Jと 原宿駅でわかれ、
そのあと、お母さんと落ち合って
お母さんに「息子の巣立ち」を邪魔しないよう、
しっかりお灸えましたとさ。
良き 巣立ちとは、自分で羽ばたいて 社会(そら)を舞うことをいう・・・♪
111日目の名言は
相互依存がなければ、
いかなる人間の生も ありえないのである。
バタイユ
☆人は、自分以外の誰かと絆を結び、そこから生じる関係性の
中で生きている。他の誰かとの関係がなければ「私」という
存在は定まらない。関係性の中でこそ「私」という個性は
確立されていく。言い換えると、人間関係から完全に
切り離された環境にあっては、どんな人も「私」という
個性を確立することはない。つまり、他の誰かがいて、
始めて「私」は成り立つと言える。
Good Luck (^o^)/
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