☆子育ては、育てるイメージより ささえてあげるイメージが求められるようになったのさ・・・♪

  • 2016/07/26(火) 03:00:11

☆我が子を授かった母親は

必然的に子育てすることになる。

日々 我が子は 成長していくが

日々 我が子を みていると

どこが
どう成長したのか

成長するにしたがって

毎日みているのに、みにくくなる。

赤ちゃんのころは 笑ったとか 歩いたとか 食べたとか 動詞ごとにわかりやすい。

だが 言葉を覚え始め、だんだん単語の量が増え話したりしだすと
母親の言うことを 理解する量も増えるのだが

内面の不満や悩み、また情緒、心情的要素を 言葉に なかなかできない。

大人でも 自分がなにに悩んでいるのか
なんの不安がつのっているのか
相談しようとしても
こんな感じなんだけど と、

感じた言葉しかでなかったりする。

心情的な言葉は 言葉で説明しにくいのである。

こんなとき 今の母親たちは

なんで? どうして?と 詰め寄るつもりはないのに 詰め寄ってしまうように 我が子に問うてしまい

我が子が すっきりするためではなく

母のわたしが すっきりしたいがために 聞きだそうとする。

これでは 我が子は 母親の問いに だんだんこたえなくなり

我が子は 母親をうるさい存在としてキャッチしだして

我が子から 必要なとき以外は、キョリをおかれてしまう。

母は、我が子が困らないように聞こうとしただけだったり

困っているなら、相談にのってほしい、との思いもからまるが

子をちゃんと育てようという意識の膠着が、
過(アヤ)を生む。

こんなことにならないよう
我が子を、日ごろから ささえてあげる意識でもっての、仕草や、背中姿や、対応あるひと言を発していると

母親と我が子が健やかな関係のまま

気がつけば、我が子が、それなりに育っていることが多い。

我が子は、成長すると
自分で自分をみつめはじめる。

そんなときに、口うるさい母には、肝心なことは相談しない。

我が子は いつもささえてくれる母親に、ありがたさを感じるものである。

それでは(^O^)♪

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