☆お盆期間に、一族そろって手を合わす……

  • 2011/08/17(水) 20:05:08

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お盆のあいだに 満月を迎え

障子戸のあいだから月光がさし、

その月光の光をあびながら

線香の煙りが ゆっくり 舞い上がる。

ああ もぅ 黄泉の国へ 還って往くんやなぁ・・・・・・

おじいちゃん、おばあちゃん、おやじぃ

お達者で・・・・・

オレの方は 口達者で あと ちょっとだけ
この世を かけめぐらせてもらったら
もぅ 十分や。

一族、親友、感謝人、恩人、こんなオレに、世話やいてくれた人、心づかいをしてくれた人、
幼くして不幸を浴びた、ちょっとオレが気になる子どもたち
それらすべての 魔をあずかり
地獄の3丁目へいく準備は できてるから

いつ 迎えに来てもらっても、かめへんて、仏さんに いうといてもらってもええで(笑)。


それにしても きれいな月やなぁ・・・・

御先祖さま、いろいろ冥加を授けてくださり

おおきに・・・

おおきに・・・


お盆明けたら 彼岸まで しばらく また、うりゃあーって
駆け巡るから よろしゅうに(冥笑福福)

みなさんも 御先祖さまあっての 命に
感謝の合掌あれ・・・・・

ほな (^O^)/

☆仙人ばなし* 人生とは、ひとしく時間( とき)をさす。貴重な1 秒に気づくことが人生をゆたかにする……

  • 2011/08/13(土) 05:31:49

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人生においての無情とは
1秒づつ 確実に あの世への時間(とき)を刻むということである。

わが杉本家に伝わる仙人ばなしの中に、こんな噺がある。

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名うての剣豪が山奥深い滝のそばで

人を斬り捨てたときに浴びた、返り血を洗い流していると、

川岸に立つ桐の木の枝に仙人が現れ、剣豪にこう問うた。


「おぬし、腕が立つようじゃが恐いことがあるか」と。

剣士は、顔を洗うと「なにより死ぬのが恐い」と言った。


すると仙人が腕のたつ剣士にこう説いた。

「人は、生まれたら、例外なしに誰もが、一刻(1秒)を 刻む。

して、この1秒で、おぬしは、人の命を絶てる。


また、人の中には、1日何もせずぼーっと過ごす輩がいたり

愚痴を垂れる者、

おのれの欲が満たらぬと不平不満をいう領主、

こわっぱどもは、いやがらせや、人をいじめたりする。

人間を創った神様が、人を地上におろしたとき

生きられる時間を定めた。そのとき、お決めになった時間が一刻。


つまり、1秒じゃ。


この大切な1秒、愚かなつかい方をする者、愚かにつかう者を、神様は 嫌う。

愚か者を神が嫌うから その者には、次から次に

その人の人生に 不幸をふりかけ、天界にそういう人が来ないようにする。

おぬしなら、おぬしのように人を殺める者には、

死への恐怖を宿すように働きかけなさる。


神様は、天界には 1秒づつを大切にする者に来てもらいたいため

1秒を大切に扱う者には、いつも その人に、

ニコニコしてもらえるような ゆたかな時間(とき)を贈られる。

よく神様は 考えていらっしゃる。


せっかくあげた 人生という時間(とき)を

だだくさに 使うやつには 厳しいのじゃ。


1秒から次の1秒の間に

人は、笑顔になることができたり


人を感動の渦に巻き込むビワを奏でたりできる。
(野球で例えれば劇的なホームランを打てたり、サッカーで例えるなら感動的なゴールなど)

そんな 人も自身も感動する一刻(ひととき)を おぬしも刻んでみよ。

さすれば 死への恐怖は取り除かれ、みるみる人生がゆたかになる。

人を これ以上殺めるでないぞ」

と言い残し、滝つぼに飛びこんで消えたそうな。


僕の大好きな 仙人ばなしのひとつである。


この おはなしの最後に 仙人が滝つぼに飛びこむ。

なぜ 仙人が飛びこむ姿を剣士に残し、去ったのか。


それは 滝の上を天界、滝つぼを人間界、

滝つぼへ流れ落ちる水は 水分で9割り創られた人間の体。


その水は 滝つぼに落ちたときは 飲めるほどキレイだが

やがて 海までの旅のあいだに汚れてしまう。

この滝つぼから 海までの距離、まさに 人の人生の心と体のようである。


その滝つぼに 仙人自らが飛びこむ姿を見せることによって

人斬り剣士に「おぬしも 一度 人生をやり直す意味でも

滝つぼに飛びこむほどの勇気ある諸行を成してみよ」と 説いているのである。


これを 諸行無情 という。


人生を ゆたかにするためには


為すべきを成すなり・・・・・・

為さざるを成さざるなり・・・・・・



ブックドクターあきひろの 仙人ばなし でした(^O^)/